「徳川方につかれよ、と」
「そうだね。徳川殿にお任せすれば、まず間違いだろう」
 そう言って、北政所は悲しげに目を伏せた。

岐路


「おねね様にそう言っていただけると有難い。安心して徳川方につくことができますぞ」
 正則はほくほくとした笑みを顔に浮かべる。
 人の良い笑顔だった。この表情からは到底、戦場で敵兵を薙ぎ払う彼の姿は想像できない。
 縁側に置かれた握り飯を手にすると、それを口一杯に頬張る。
「やっぱり、おねね様の握り飯は美味い」 
「市松は変わらないね」
 北政所は品良く微笑む。
 彼女は未だに正則を幼名で呼んでいた。
「私の周りは、すべてが変わってしまったよ」
 北政所の表情に影が差した。自嘲気味に自身の尼姿を見下ろす。
「豊臣家に、もう天下を維持する力はないね」
 きっぱりと、彼女は言い放った。さすがの正則も目を丸くする。
「おねね様、それは」
「市松。たとえ一大名の地位に落ちたとしても、私は豊臣家が残ればそれでいいと思っているんだよ」
「………」
「市松が石田方についたところで、豊臣家の天下は長くない」
 正則は暫く考え込む仕草を見せたが、ぱんと膝を打った。
「三成は」
 苦虫を噛み潰すような表情になり、先を続ける。
「あいつは馬鹿です。おねね様の考えなど、これっぽっちも分かっておりません。豊臣家の為と血気にはやるばかり。それがかえって豊臣家の短命に繋がるとも知れず。俺はあいつを」
 北政所の表情に気付き、正則は言葉を止めた。
「……本当に。いつから、こんなふうになってしまったんだろうね」
「おねね様……?」
 北政所はなにかを思い出すように宙を仰いだ。
「豊臣家を想う気持ちは、どちらも一緒なのに」
 彼女の言葉に、正則は二の句が継げなくなってしまう。
 正則は気付いた。彼女にとって、彼らは未だに市松と佐吉なのだ。
 気まずくなった正則は、がぶりと握り飯にかぶりつく。不器用な彼にはそれしかできなかった。
「あらあら。おかわり作ろうか」
 笑顔で北政所は立ち上がる。その目元がわずかに潤んでいることを、正則は見逃さなかった。