「珍しいことがあったものですな」
「左近。俺にだって、酒に溺れたい夜もある」
 拗ねたように言って、三成は盃を傾けた。

月見酒


「加藤主計殿のことですか」
 左近が清正の名を出すと、三成はびくりと肩を震わせた。図星だったらしい。
「左近は鋭いな」
 ひとこと呟くと、赤ら顔で下に俯いてしまった。
 朝鮮との講和を期に、三成と清正との溝は更に決定的なものとなってしまっていた。
 秀吉亡き今、本来は豊臣家を共に支えていかねばならない立場にいるふたりである。
 それがこの状態では。
「狸の思う壺だ」
 ぐい、と不機嫌に三成は盃を飲み干す。顔に更に赤みが差した。
 もともと三成は酒に強い方ではない。左近が心配そうな目つきで三成を眺めていると、何を思ったのか、三成は自身の拳を口の中に突っ込んだ。
 唖然としたのは左近である。三成はこの手の冗談をする男ではない。
「殿、いかがされました」
 珍しく慌てた様子で駆け寄る左近に、三成は何事もなかったかのように言ってのける。
「やはり拳は口に入らぬか」
「当たり前です。いきなりどうなさったのですか」
「いや。幼少の頃を思い出してな。虎之助はよく俺に自慢をしたものだ」
 思い当たる節があり、左近は得心した。
 清正は口の中に拳を入れることができるという。酒が入ると清正はよくその特技を人に見せると聞くが。
「すると、あの話は真だったのですか」
「ああ。大口開けて不敵に笑う奴の顔が、昨日のことのように思い出されるわ」
 くつくつと笑う三成だったが、次の瞬間その笑顔は鳴りを潜める。
「だが、それも今は見れなくなってしまったな」
 皮肉めいた表情を浮かべる三成の盃に、左近は黙って酒を注いだ。
 相変わらず気の回る男だ、と三成は微笑む。
「左近、憎まれ役は辛いものだな」
「自業自得ですぞ」
「言ってくれるではないか」
 三成は笑い、酒を一気にあおった。