「左近」
 小さく呟いたはずのその声は、驚くほど大きな音になって岩窟に反響していった。

うたかた


 入り口から微かに射し込んでくる夕陽に、三成は思わず目を細める。
 関ヶ原の敗戦から数週間。三成は旧領である古橋村の岩窟に匿われていた。
 その痩せこけた姿からは、五奉行として辣腕をふるった凛々しさは見る影もない。頬も削げ落ち、病的なほどに顔は青白い。だがその瞳にはただ、生への執着が爛々と宿っていた。
「左近、おまえはこんな俺の姿を見て笑うか」
 今はもういない自分の忠臣へと、三成は問いかける。その表情はどこか楽しげでもあった。声は何重にも反響し、木霊のように岩窟内を駆け巡る。
「おまえのことだから、よく頑張ったと俺を慰めてくれるだろうか。それとも、狸に喧嘩を売るのはやはり無謀だったと俺に説教するだろうか」
 三成は自嘲的に笑った。それは、閉塞された空間での孤独感が三成にさせた所為だった。長い時をひとりで過ごせるほど、今の彼の心は強くはない。
「いや、然り顔でおまえはこう言うのだろうな。殿には人の和がござらなかった。これが当然の因果でしょう、と」
 くつくつと笑う三成は、遠き思い出に想いを馳せているようでもあった。そのやつれた風貌とはかけ離れた、快濶な笑みだった。
「いいのだ、俺は。人の和はなくとも、いつも隣にはおまえがいた」
 誇らしげに続けた三成だったが、そこで表情を暗くする。
「……だが、今は俺ひとりだ」
 三成は辺りを見回した。
 そこには荒涼とした岩窟がただ、広がっていた。
 臣も友も地位も名誉も。
 三成はすべてを失った。もう何も残ってはいなかった。
「左近」
 無性にあの声が聞きたいと思った。飄々としたあのまなざしを、もう一度見たいと願った。
 しかし、それはうたかたの夢。
 自らの意地を通すために失った代償はあまりにも大きく、もう戻ることのないそれを必死に追い求める自分がいる。
 三成は苦笑した。
「左近、おまえは俺に生きろと言ったな」
 最期に奴も難題を出してくれたものだ、と思う。
「おまえがいないと存外、俺は生きにくい」
 気付くと、涙が零れていた。