そもそも、最後に食べ物を口に運んだのは何日前だったろう。
薄く氷の張った水たまりに、ぼこぼこに殴られた顔を半分埋めながら、そんなことを考える。寒さで凍えそうだった。がくがくする膝を押さえて、僕はなんとか身体を起こす。
水たまりに、痩せこけた少年の顔が映っていた。
唇を腫れ上がらせ、目の上に大きなたんこぶを作った顔――僕の顔だ。あちこちが打撲と擦り傷だらけ。我ながら情けない状態だった。
どうしたらいいんだろう。僕は途方に暮れてしまう。有り金は先程、孤児集団にすべて奪われてしまった。相手は五人。かなうはずもない。どうせ奪われるんだったら抵抗しなければよかった、と今更ながらに後悔する。そうすれば無駄に傷を負うこともなかっただろうに。
孤児集団の襲撃は、この街ではさほど珍しいものではなかった。大唐帝国は最近、吐蕃などの北方異民族との戦いを繰り返している。当然、戦禍で親を亡くして彷徨う孤児たちも多い。僕もそのひとりだ。生きるために他人から物を奪うのは仕方のないことだと分かっているつもりだ。それでも。
「これはないよなあ」
思わず愚痴が口を突いて出る。袖口で頬をぬぐうと、泥と一緒に血がべったりと服にこびり付いていた。
なんだかもう、泣きたい気分だった。腫れた頬の痛みとか。凍える冬の寒さとか。どうしようもない空腹とか。有り金を奪われた悔しさとか。そういったものがすべて渾然となって、僕の目からつうと涙が零れ落ちる。そのあとも涙は止め処なく溢れ出てきた。
どのくらいの間、泣いていただろう。僕はそっと涙を拭って立ち上がった。いつまでもそうしている訳にはいかない。今日の寝床を探さなければ。
足を一歩踏み出した、そのとき。
かくん、と膝が折れて僕は前のめりに倒れ込んだ。身体が持ち上がらない。なんだ。僕はもう歩く気力さえ残っていないじゃないか。
ぼろぼろの身体を引きずりながら、這って進む。やっとのことで建物の壁に背中を預けると、僕はハァと一息ついた。たちまち息は白く凍りつき、空中で儚く霧散する。ふと空を見上げると、曇天からはちらちらと雪が舞い始めていた。どうりで冷えるはずだ。
ここで僕は死ぬのか。そんな考えが頭をよぎる。それもいいかも知れない。僕はここまでよく頑張ったさ。そうだろう。そろそろ、ゆっくり休んでもいいじゃないか。ここで眠るんだ。そっと目を閉じて、僕は来るべき時を待つことにする。
安らかに死を迎えようとしていた僕を襲ったのは、腹への激痛だった。
「ぐぎゃあ」
僕は蛙が踏まれたような悲鳴を上げると、ごろごろと転がって道端の木に背中を強打した。全身に激痛が駆け抜け、声にならない声を上げる。
「なんだ。まだ生きてたのか坊主。もう死んでるかと思ったぜ」
上から横柄な男の声。どうやらこの声の主が僕の腹を蹴り上げたらしい。
非難の眼差しで見上げると、黒く日焼けした青年の顔があった。この街の孤児集団の頭領だった。
「可哀想になァ。どうせ孤児たちにでも身ぐるみを剥がされたんだろう。同情するぜ」
全然同情していない口調で、青年は言う。
僕を襲った孤児たちも、こいつの差し金に違いなかった。あまりの白々しい態度に、僕は顔を顰める。
けれど青年の口から次に飛び出したのは、思いもよらない言葉だった。
「どうだ、坊主。俺たちの仲間にならないか」
「……盗人の仲間はごめんだ」
僕はやっとのことで、掠れた声を絞り出す。精一杯の虚勢だった。
「生意気な口を利くじゃないか。ますます気に入った」
ふっと青年は真顔になると、僕の前に指を二本立てて突き出した。
「いいか。おまえに残された道はふたつにひとつだ。生きるか、死ぬか。おまえはどっちがいいんだ?」
有無を言わせぬ口調だった。それだけの凄みが、その言葉にはあった。
僕は答えに窮する。僕の頭の中では、最低限の矜持を守ろうとする自尊心と、溢れるほどの生への執着が、激しくぶつかりあっていた。僕には永遠とも思われたその葛藤も、実際のところは数秒間の出来事だったに違いない。
結局、僕は――恥も外聞も捨てることにした。
「……生きたい、です」
「素直でよろしい」
にやり、と青年は不敵な笑みを浮かべる。その大きな右手を僕に差し出した。
「ようこそ、孤龍団へ」
←BACK